2019/07/26更新しました。
テレビで市川海老蔵さんの会見を見ていました。
小林麻央さんが2年8ヵ月におよぶ乳がんの治療を受けられていましたが、黄泉の国へ旅立たれたことをご主人の海老蔵さんが舞台公演の合間に会見。
一睡もしていないであろう海老蔵さんは、憔悴して映りました。
「呼吸が苦しく話せない状態だったけれど、最期の瞬間、私を見つめて『愛してる』と。『る』が聞えるか聞こえないかで、旅立ちました……」
若くて美しいままに亡くなった麻央さん、ふたりの幼子を残してどんなに心残りだったでしょう。
海老蔵さんの悲痛な思いが伝わって、私も思わず泣いてしまいました。
私の義理の姉は、42歳で乳がんで亡くなっています。海老蔵さんの会見に、義理の姉が骨に転移したため激痛に苦しむ姿が胸によみがえりました。
看病にあたる家族のたいへんさと、私が思う周囲が心がけたい気遣いについて考えてみたいと思います。
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義理の姉は37歳で乳がんが解かりました
夫の長兄の妻、私からすると義理の姉はとても頼りになる存在でした。
結婚したとき23歳の私より、13も年上です。
家事をてきぱきとこなし、勤めにも出ていました。
ワーキングマザーとして当時、中学生の息子と娘がいました。
そんなとき乳がんと診断されます。片方の乳房を全摘し、抗がん剤治療に入ったのです。
ガンの再発と転移
治療が始めると仕事を辞めて、家で療養生活。
医師は「仕事がしたいなら、しても大丈夫ですよ」と太鼓判を押しましたが、夫の長兄が予後が大事だからと退職させました。
主婦として家事にいそしんでいた義姉ですが、1年後くらいに再発していることが判明。また、辛い抗がん剤治療に。
嘔吐と下痢、脱毛の後遺症で義姉は消耗しました。
それで退院したのですが、しばらくすると腰が痛くなって、腰骨にガンが転移していることがわかります。
腰の骨が溶けるように消えたり、あるいは骨が形成されたりするので、強い痛みを伴い、腰の手術も受けました。
ナーバスになり悲観的になる義姉
41歳になると義姉は、腰の手術後に歩くことが困難になり、車いす生活に。
弟嫁の私には次女が生まれて、小さな子どもたちがいました。
お見舞いに行くときは、保育園に預けるようにしていましたが、義理の姉が自宅にいるときは連れていくこともありました。
長兄夫婦は夫の実家で、夫の親たちと同居していたため、私たちは盆暮れのほかにも畑の野菜などをもらいによく立ち寄っていたのです。
元気なころは家の中心にいて、家事の采配をふるっていた義姉ですが、病気の進行とともに悲観的になりました。
「貯め代さんは、この家に来ても顔を見せるとすぐ帰る。冷たい」
そんなふうにあとで言われたことも。
そのとき、幼かった子どもが風邪気味で鼻水をたらしていたので、うつるとまずいと感じてすぐに帰ったのですが、義姉は話し相手が欲しかったのでしょう。
家にこもりきりで寂しかったのかもしれません。
入退院をくり返し、自宅へ
献身的だった長兄
長兄はガンに効果があるという健康食品をいろいろと買い求めて、義姉に飲ませたりもしました。
当時の病院は完全看護の体制でなく、長兄が薬の副作用で苦しむ義姉のために病室に泊まり込むことも。
長兄は献身的でした。仕事が終わると病院に駆けつける日々だったのです。
しかし、義姉は入退院をくり返し、やがて自宅へ戻されます。どんなに手を尽くしてもこれ以上の治療法がないということで。
自宅では座薬のモルヒネを使い、うつらうつらとしたした状態。食事はほとんど採れないようでした。
2月の寒い季節ですが、「スイカが食べたい」と言うので、長兄が買って食べさせて。
スイカやメロンなど水気のある果物しか喉を通らなくなっていたのです。
亡くなったのは1993年3月13日。闘病は4年8ヵ月に渡り、亡くなる前日に病院へ救急車で搬送され、その病院で息を引き取りました。
24年前になります。
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ガン保険に加入していた義姉
ニッサン生命という保険会社は今はないと思いますが、当時はがん保険を扱っていて、義姉はたまたま加入していたそうです。
長兄の話では、その保険があって助かったとのこと。
義姉が亡くなったとき、甥っ子が専門学校生で姪っ子は高校生でした。10代の子ども達ですが、やっぱり気がかりだったことでしょう。
いま思う義姉のこと
「病気が治って元気になったら、関東にいる姉のところに遊びに行きたいし、好きな洋裁をしてのんびり暮らしたい」
体に痛みがないとき、義姉は穏やかな顔でそう話したことがあります。やりたいことがまだまだあったはず。
しかし、叶いませんでした。
義姉が私に教えてくれたことは、命には限りがあること、いくら願っても叶わないことがあること、たとえ神仏にすがっても諦めなければならないことがあること。
そして、元気なうちは精一杯にがんばったほうが悔いが少ないこと。
言葉ではなく、自らガンと闘う姿を通して、そのときまだ若かった私に教えてくれた気がします。
長兄は再婚せず現在に至り、息子夫婦と91歳になるおばあちゃんと二世帯住居に暮らしています。
ガン等の病気は、家族の人生を狂わせます。早期に見つかっていればと、長兄は今でも口にすることもあります。
当時の私に足りなかったこと
今ふりかえると、もう少し義姉の話し相手になれたら良かったと思います。ガンが進行すると病院と自宅だけが居場所になって、気持がふさぎがちになるし、食べたくても食べることができなく、行動範囲が狭くなります。
なかなか難しいことですが、私に傾聴ができたらよかったことでしょう。傾聴は相手の話を否定することなく、耳を傾けて受け留めること。
自分の意見を押し付けることはタブーです。
まとめ
テレビに映る麻央さんは本当に美しく、愛する人との間にふたりの子どもにも恵まれ、幸せの絶頂にいるとき病になりました。
神さまは意地悪なことをするものです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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