家のなかにはいろんな神さまがいるとされ、とくにトイレの神様は有名です。
植村花菜の楽曲がヒットしたからですが、日本はもともと多神教の国で、山を仰げば祖霊のまなざしを想い、樹木に神秘を感じる民族です。
神道の信者でなくても神棚をお祀りして、初詣に毎年お札を買う方は多いでしょう。私もその一人です。
今日は家神さまや神棚のこと、東北につたわる『おしらさま』についても紹介します。
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神棚とは?
初詣に神社からお札 をいただくのは、家内安全や無病息災を祈願するためです。神棚は神さまのおうちともいえますね。
アマゾンにも神棚がありました。
サイズもいろいろありますから、お部屋に合わせることができます。
わが家の神棚は、大工さんのアドバイスを受けてホームセンターで買ったと記憶しています。
前に出かけた地元の神明宮では、無料で譲渡していました。その神社は伊勢神社の分社で、神宮大麻のお札を買い求める方が無料です。
わが家は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中央に、向かって左に初詣でお参りする神社のお札を納めています。
神棚を設けないお宅もあります。
信教の自由は人それぞれ。
私の弟は家を新築したばかりですが、弟の妻がいらないと言ったので神棚がありません。要は気持の持ちようです。
神棚がなければ、毎年お札を変えなくて済むので、合理な人は設けないでしょう。
家神さまとは?
その家の竈(かまど)には火の神、トイレは弁財天の居場所だからきれいにするとお金が貯まるとか、昔から言われてきました。
家神さまは、文字通り家の守り神です。
家の庭に祠を建てて土地全体を守ってくれるように大地主神や、あるいは庚申塚(こうしんづか)を敷地内にもつ旧家を見たことがあります。
代々、家が栄えるように、子孫が絶えないようにと、お祀りしたのでしょう。
今は核家族で、同居することが減りましたから、慣習や文化は受け継がれません。
それどころか家もお墓も後継者がいなくて、廃墟だらけというのが過疎地の現状。
しかし、東北ではかつて「おしらさま」を祀る家がけっこうありました。
「おしらさま」
私の地元の「おしらさま」は、頭もすっぽり布で包む「包頭型」です。
岩手の遠野地方は、頭が出ている「貫頭型」がよく知られています。
地元では金襴緞子(きんらんどんす)のきらびやかな着物をきせて、御朱印を毎年のように頂く風習がありました。
お婆さんたちが「おしらさま」をきれいに飾り立て、集まる講が盛んだったのです。
馬と娘の悲恋物語
おしらさまは馬娘婚姻譚(ばじょうこんいんたん)という馬と娘の悲恋物語が、元になった神さま。
美しい牡馬に恋した長者の娘は、年頃なのに縁談に首をふり続けます。馬と娘は相思相愛で、愛し合う仲なのです。
それを知った父親が、馬をぶち殺して皮をはいでしまい、娘は嘆き悲しんで馬ととともに天界へ昇る。
原典は中国の伝説で、王女が父王を助けるために馬を利用する話。
それを日本人が悲恋物語にアレンジしました。
馬と娘の2体で一対。
布をはずすと、ご神体の桑の木が現れ、馬と娘の顔が彫刻されたり、墨で描かれたりします。
養蚕(ようさん)の神であり、家の守り神として根付いてきました。
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農村ではポピュラーだった「おしらさま」
東北ではかつて「おしらさま」を家でお祀りする地域が多かったのです。夫は子どものとき、村で持ち回りで大切にする行事を見ています。昭和40年ころ、1970年代です。
春と秋の彼岸に、口寄せ巫女のイタコや「かみさま」と呼ばれる霊媒師を呼んで、「あそばせ」という行事をしました。
「あそばせ」は、おしらさまの衣装を新しくしたり、馬と娘の悲恋の祭文を唱えたりして執り行いますが、今はめったに見学すらできません。
消滅しようとしている文化
現在では夫が生まれ育った農村でも、「おしらさま」を祀る家はないでしょう。年寄りばかりになっていますし、若い人は興味を持ちませんから。
でも、私は家神さまや「おしらさま」の考え方を忘れたくありません。迷信と言われたらそれまでですが、目には見えないけれど、おうちを守ってくれる神さまがいると考えると、なんだか心強い。
そして、住まいを大切にしようと感じます。
日本の心は、身近なところに浸透しているはずです。
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