2022/04/18更新しました。
遠方に住む母の見舞いへ行ってきました。
母は昭和16年生まれで、誕生日を迎えると77歳。
昨今、70代のみなさんは若くてはつらつとしていますが、私の母は病弱です。
60歳の時に脳梗塞で倒れ、その影響により数年前から認知症となりました。
退院後はホームへ移ることになり、賃貸の部屋を退去するため、叔父と話し合っています。
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脱水で入院
母は現在、入院中です。
先月に叔父から「脱水症状がひどいので、入院させた」と、知らせがありました。
そうしているうちに、インフルエンザの猛威です。
病院は見舞いの制限がなされ、「親族であっても病室へ行くことができず、着替えを看護士を通して渡してもらっている」と、叔父が電話をくれました。
それで面会ができるようになってから、出発。
往復400キロの距離を夫が運転してくれたので、助かりましたね。
地方は交通機関がとっても不便なので、車がやはり便利です。
病室へ行くと、母が思いのほか元気だったので、ほっと胸をなで下ろしました。
半年前に会ったときよりも、顔色が良くなって、話すこともしっかり。
「あら、来てくれたの!遠いのにごめんね」
私を見ると、微笑みます。
ただ77歳の母は足腰が一段と弱り、介助なしにはトイレに入ることができません。
そして、同じ話を繰り返す。
記憶があちらこちらに飛ぶようで、話の内容に合わせるのがちょっと大変です。
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働けど年金は少ない母
私が5歳になる前、両親は離婚しました。
父の愛人が男の子を産み、本妻だった母は精神的に落ち込みます。
結局、私を父の元において、ひとりで実家へ戻ったのでした。
なので、私は育ててくれたのは父と継母。
実母と再会できたのは20年後で、初孫を見せたときです。
私の結婚式にも呼ぶことができませんでした。
でも、そのときから交流が始まり、亡くなった祖母とも何度か会えました。
当時の実母は、祖母を介護しながらパートで働く日々。
元々が農家なので、祖母の畑で育てた野菜を宅配便で送ってくれたものです。
60歳の直前に脳梗塞で倒れるまで働きましたが、正社員の期間は短く、20年以上がパート勤務。
そのため、年金は10万円に満たなくて、団地の一室で細々と暮らしてきた母です。
生前整理
母の家へ行くと、ひとり暮らしにしてはモノが多いと感じていました。
3年ほど前でしょうか、叔父が体の動きが鈍くなった母を見かねて、強制的にモノを処分。
「勝手に何でも捨てる、ひどいよ」
母は愚痴を言いましたが、私も気になっていたので、叔父がモノを処分してくれて良かったと思いました。
叔父は公務員として働いていたとき妻を病で亡くし、ふたりの子どもを男手で育てました。
同じ街に住んで、母の後見人のような感じです。
今回「ホームに入所するから、団地の部屋を明け渡さないといけない。欲しい服や雑貨があったら、持って行っていいよ」と、叔父からそんな話も。
しかし、 私は自分の家のモノを始末するのに四苦八苦の最中です。
血のつながった母ですが、なにも欲しくありません。
思い出だけで充分。
私の娘たちを可愛がってくれたことを感謝するだけ。
撤去費用
母の家にあるものは大きいモノは冷蔵庫、テレビ、食器棚、箪笥くらい。あとは服とアルバム、本や漬物の樽……。
そして、掃除も必要に違いない。
「明け渡しの期限もあるし、業者に任せるかもしれない」
ILKの団地です。
地方なので12万円~20万円くらいだろうとのこと。
私たちもそうちょくちょく、往復400キロの距離を走ることができないので、叔父にお任せです。
ホームへは、着替えのほか愛用品を少し持ち込めるようですが。
帰り際に母に、「また会いにくるからね」と声を掛けると、少しうつむいて寂しそう。
でも、すぐに「気をつけてな」と返してくれました。
母は団地住まいなので、部屋を明け渡したらそれで済む。
戸建ての持ち家を処分するとなると、やはり費用はかかるようです。
母はほんとうにささやかな暮らしをしていました。
片づけは必要ですが、家を持っていませんし、かかる費用も高額にならない見込みです。
老いて生きる
母のように77歳でホームに入所は、早いでしょう。元気ならまだまだ旅行したり、家庭菜園を楽しんだりできたはず。
人と比べても仕方がない。
母には母の人生があり、脳梗塞という病を得て、ゆっくり認知症となっているのだから。
「明日、死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい。」
ガンジーの言葉がふと胸をよぎり、母は老いるということの現実を身をもって教えてくれていると感じています。
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