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急げ!もうすぐ閉館のアミューズミュージアムは日本の原風景BOROの貴重な布美術館

アミューズミュージアム・田中忠三郎

アミューズミュージアム・麻布の歴史

 東京浅草にあるアミューズミュージアムをごぞんじですか?

東北の民俗学者である故・田中忠三郎さんが蒐集した麻衣のコレクションを展示している布と浮世絵の美術館です。

運営元は大手芸能事務所のアミューズ、俳優であり歌手の福山雅治さんらが所属していますね。

ヨーロッパにおいても注目されるBOROがたくさん展示されて好評だったのですが、ビルの老朽化により2019年3月末日をもって閉館。残念ですね。

BOROや田中忠三郎さんについてお伝えします。

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BORO襤褸とは?

アミューズミュージアム・田中忠三郎

麻の着物は作るのに手間がかかる

東北の北部は、寒冷地のため綿花が栽培できません。

江戸時代はもちろん、明治半ばまで北前船が運ぶ木綿の布は農民にとって、なかなか手が届きにくかったのです。

では、着るものをどうしていたのでしょう?

食べるもの同様に自給自足。

ですから、すべて自分たちで生産しました。

  • 農民は自分の家の畑に春、麻の種を撒いて栽培
  • 麻は成長が早いので、夏の土用が終わるころに刈り取り
  • 麻の茎から繊維を取りだすのは、村人の共同作業
  • 大きな釜で煮る
  • 川にさらす
  • 乾燥

そこから丁寧に糸紡ぎして、やっと機織りです。

当時の農家の女性たちが、寝る時間を惜しんで糸を作っても、着物を年に2枚か3枚しか完成できません

赤ちゃんが生まれたら、産着やおむつが必要ですから、ぼろ布を大切につくろいながら着せたのでした。

アミューズミュージアム・田中忠三郎

『みちのくの古布の世界』田中忠三郎著

 青森県下北半島が出身の田中忠三郎(1933~2013)さんは、若いときは縄文遺跡の発掘をして、そこから麻の暮らしに注目しました。

麻は木綿よりずっと歴史が長く、縄文時代から日本人が編んで愛用していたからです。

ちなみに木綿は、14世紀に大陸から伝えられました。

私は、叔母がサキオリを趣味にして、その全国裂織協会の機関誌を読んだことがあるのです。

そのときに田中忠三郎さんを知り、熱烈なファンになりました。

しみじみと心に響くコラム記事を、連載されていたからです。

アミューズミュージアム・田中忠三郎

明治期の着物・裏地は天然藍で染めています

ファンとなった私は、70代の田中忠三郎さんにお手紙をさし上げ、丁寧なお返事を頂きました。

それが縁となり、なんどかお目にかかっています。

気さくに歴史民俗について教えて下さいました。

女性史に興味にあるのなら、ぜひ庶民の衣生活について勉強なさい。武士や貴族の権力者は人口の2割ほどで、あとは農民をふくめて庶民ですから

私は、ハッとしました。

祖母たちが、なぜ着物に執着して、大切にしたか、気づいたからです。

大正生まれの祖母は、暇さえあれば針を手に縫物をして、私が小学生の頃はゆかたを縫ってくれたものでした。

祖母の時代は、買いたくても手に入らなかった。

www.tameyo.jp

食事もご飯と納豆があれば、御の字。

戦争を生き抜いた祖母は生涯、倹しかったのです。

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アミューズミュージアム

アミューズミュージアム・田中忠三郎アミューズ・襤褸

アミューズミュージアム・建物

 さて、浅草寺から徒歩2分くらいの場所に建つアミューズミュージアムは、1階が和の小物を中心としたショップとなって、上の階にBOROや浮世絵を展示しています。

この日は、娘夫婦と10カ月も孫も一緒に見学しました。

私は2度目の来館です。一度目はオープンのときで、約10年前。

娘の夫は関西生まれの29歳、東北の古布の世界をどう思うかしら?

そんな不安もあったのですよ。

アミューズミュージアム・田中忠三郎

100年以上前の農民が着た衣

平成生まれの娘夫婦はスマホについては詳しいけれど、日本が貧しかった時代なんて知る由もありません。

「えー、どうして買えなかったですか?」

そんなふうに聞かれたら、何と答えたらよいでしょう。

アミューズミュージアム・田中忠三郎・襤褸・BORO

『物には心がある』田中忠三郎著

幸いなことに、娘の夫は熱心に眺めていました。

本物のエコとは『人を愛する気持ち』」など古布とともに解説版があって、田中忠三郎さんの生前の言葉をたくさん紹介されています。

若い世代のほうが、先入観なく受け止めるみたいで、ホッとしました。

孫もぐずらずに、お利口さん♪

縄文由来の麻

素手で縄文遺跡を発掘って、スゴイですね!」

娘夫婦は、そんなふうに感激していました。

田中忠三郎さんが縄文遺跡を発掘したのは、昭和20年代の終わりから昭和30年代の足かけ10年。

アミューズミュージアム・田中忠三郎・縄文土器

縄文晩期の注ぎ口がある土器

当時は畑を耕すのが馬や人力だっため、遺跡が破壊されず北東北のあちらこちらに残っていたそうで、田中忠三郎さんはトラクターなどの機械化が迫るなか、孤軍奮闘。

終戦から10年余り、縄文遺跡の重要性はさほど認識されず、出土する土器は地元の人ですら「アイヌのかわらげ」と言うくらい。

「かわらげ」とは素焼きの器・かわらけの訛った言葉だとか。

それで、冬に降り積もる雪の中、凍死を覚悟で発掘されました。

「なんも寒くなかった。若かったし、情熱がたぎっていたから」

アミューズミュージアム・田中忠三郎

お元気なころの田中忠三郎さん・2010年ころ

歴史民俗について語るときの田中忠三郎さんは、青年のように瞳を輝かせ、拝聴して私はとても楽しかったです。

いま振り返ると、私の人生を変えた師でした。

田中忠三郎さんは世俗をよく見極める眼力の持ち主。

ときに怖いほど、人の胸中を見透かす方でした。

そして、生涯を懸けて麻の衣を蒐集し、すべて分類して、手織りの機織り機とともにたくさんの資料を、私財を投げ打って保管していたのです。

アミューズミュージアムでは、よりすぐりのBOROを展示。

 

物には心がある

田中忠三郎さんの生き方が胸を打つノンフィクション。

 

みちのく古布の世界

東北の庶民の麻衣を写真付きで、解説した1冊

アミューズミュージアムが閉館したあと、BOROはヨーロッパでも展示が予定されているそうです。

まとめ

東京浅草のアミューズミュージアムが今月末で閉館。

とっても残念です。

娘夫婦と孫と見学したことをアップしました。

機会がありましたら、ぜひどうぞ。 通常料金は大人ひとり1000円です。

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