先日、グループホームで過ごす母のところへ行ってきました。
77歳の母は、脳こうそくを59歳のとき患いました。
そのときは後遺症がさほどなくて、歩けたのですが70歳を過ぎると、日常生活に支障をきたすようになり、独り暮らしが困難に。
1年ほど前から施設にいます。
母の現在の様子と、施設に持ち込めたモノをお伝えします。
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ひとり暮らしが困難になった理由
母は、脳血管性の痴ほう症と診断されています。
1年3ヵ月前、独り暮らしをしていた部屋で具合が悪くなっているのを、ディサービスの職員が発見。
ただちに病院へ運ばれて、入院しました。
そのときは意識がもうろうとして、受け答えも満足にできなかったんですね。
おもな原因は母の場合、脱水症です。
その頃すでに足が萎えて、トイレまで這うようにしていたのですが、用を足すことが母には、たいへんだったのでしょう。
水分摂取を控えていた!
「お茶や水を飲んでね」
そう電話で伝えると母は「わかっているよ」と答えながら、実際は水分を控えていたのです。
車椅子の母
2ヵ月ほど入院し、老健施設でリハビリを受けて、今のグループホームに入ることになったのが2018年です。
しばらく会っていなかったので、母が私の顔を覚えているかなと心配でした。
「こんにちは。私のことがわかる?」
「ああ、わかるよ。よく来たね」
微笑んでくれました。
見舞うといつも感じるのが、独り暮らしのときよりも、ホームで暮らしている現在の方が、母の表情はおだやかということ。
「みんな私よりも年上の人ばかり。年は若い私だけど歩けないから、ホームで暮らすのはしょうがない」
自分の体が思うようにならない。
そのことが悔しそうですが、現在の暮らし方を受け入れて、納得していました。
車椅子の生活です。
運動機能が衰えているのは、やはり脳梗塞の後遺症により脳の血流が良くないせいでしょう。
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母のモノが収まった整理ダンス
何冊もあったアルバムや母が集めていた雑貨の類いは、施設には持ち込めませんでした。
母が30歳のころのスナップ写真や、私の娘たちの七五三の写真、それから着替えです。
着替えは、画像の整理タンスに収納。
こちらの整理ダンスの向かい側はベッドとポータブルトイレがあります。
ポータブルトイレは夜間用で、昼は車椅子で移動して水洗トイレを利用。
衣類は下着やふだん着のほか、外出用の上着が2枚くらい。
個室の面積は5畳くらい。グループホームなので共有スペースが広めで、そこでテレビを観ることができます。
母の家の片付けは?
両親は私が4歳ころに離婚して、私は父親に引き取られました。
母との再会は20年後。
私に長女が生まれて、1歳の時です。
当時の母は40代後半でしたが、とても生活に疲れていました。
というのも、再婚して息子が生まれたけれど2度目の結婚も破れてしまい、シングルマザーとして働きながら、祖母の介護もしていたから。
ちなみに私の父との離婚理由は、父の愛人が妊娠し、出産したため身を引いたため。
「2度も離婚して、苦労が多かった。兄弟や姉妹から世間体がわるいと非難されたこともある」 とは、母が前に何度か、口にしたことです。
結果を言うと、母のホーム入所に際して、叔父が全面的に処理してくれました。
公営住宅の部屋に暮らしていたので、急いで明け渡す必要があり、母の入院中に業者に依頼。
「なにか欲しいものがある?」
叔父からそんなふうに聞かれたことがあるけれど、私の家は狭いためすべて処分してもらうことにしました。
20万円以上、かかったに違いありません。
親の家の片づけは、ある日突然にふりかかることがあります。
遠距離だと、交通費とともに時間も要するためたいへんです。
病気のため片づけられない
70代になってから、母は片づけられない状態でした。
公営住宅の母の部屋が、足の踏み場もないくらい散らかっていたこともあります。
昭和16年生まれの母は、年齢を重ねる ごとに捨てられなくなっていたのです。
脳梗塞から血管性認知症になっていたのですから、母の精神は混乱するばかり。
部屋は、心の有り様を実に反映していました。
その片づけを、叔父が一手にしてくれて、感謝しかありません。
血のつながりがあるとは言え、私と母の間には距離感があるため、「片づけたほうがいい」と、口にできませんでした。
施設の金は年金でまかなう
母は、定年前に脳梗塞になりました。
幸い、国民年金と少しの厚生年金が上乗せされ受給。
施設のお金はそれで足りているようです。
私に請求はこないので、もしかしたら叔父が出している分もあるのかもしれませんが。
母が入所したグループホームは、比較的に低い費用で利用できます。
それは築年数を経たビルをリノベーションして、ホームとして活用しているせいもあるでしょう。
ホームのスタッフは親切でした。
独り暮らしと違い、会話する相手がいるだけでも、母の気持ちが安定する要素となっています。
前は不安が強くて、電話をしても延々と愚痴や心配事を聞かされたので。
まとめ
母は誕生日を迎えると78歳になります。
血管性認知症のため、グループホームに入所して約1年。
母の家の片づけは叔父が、担ってくれました。
感謝しています。
母はたくさんの雑貨や服やバッグを手放して、今は整理ダンスひとつ分の荷物しかありません。
でも、野に咲く花のような可憐な笑い顔を、私に向けてくれました。
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