夏服の準備をしています。
私が住んでいる地方はまだ朝夕は肌寒く、昼の気温は高い日で20度くらい。きょうは雨が降って17度までしか上がりませんでした。
さて、買わない生活をして丸1年が経ちます。
スキンケアはやめました。服はあるものを使い倒しています。
アップしたカットソーは丈が長めでノースリーブ。シフォン生地のような薄地のカーディガンを合わせています。
この服は2013年に買って以来、毎年そでを通すお気入り。
ファションセンターしまむらで見つけました。
化繊なのですが、そんなに傷みません。洗濯はネットに入れて洗濯機で。
この夏服もすでに4年目に突入です。
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買わない生活をするために大切なこと
私が買わない生活を意識するようになったのは、かれこれ5,6年前から。でも、なかなか思うようにいかなくて、化粧品と服をほしいと感じなくなり実行できたのは1年前からです。
- 娘たちが実家に服を送ってきて、サイズが合えば活用している。
- 自分が買ったものも多くて、持て余している。
- ちょこちょこと買い物が好きだったので、お金が貯まらないことに気づいた。
- テレビを見ていて「これを買って」のコマーシャル攻勢に疑問を抱いた。
- 買い物は飲酒やパチンコと同じようなもので、習慣になりやすいことを知った。
「欲しいけれど、我慢」はストレスの元
ショッピングへの渇望感があるうちは、辛いです。
「あれも欲しい、これも欲しい」とモノが輝いて目に映るうちは、それを我慢するとストレスとなってしまいがちに。
夫や子どもにとげとげしい態度を取ったり、どうして私はこんなに貧乏なんだろうと自分を卑下したり。
私の場合は、根底から考えを変える必要がありました。精神の革命です。
人類の歴史が始まって以来の消費の仕方だ
私は東北地方の女性史をライフワークにしています。
戦後しばらくまで日本はひどい物資不足でした。
戦争で負けたというのはもちろんありますが、それ以前から日本は凶作に見舞われると、飢餓列島さながら。
食料も暮らしの道具も、庶民には満ち足りたものでは到底ありません。
少ないモノを生かしてとことん使い、自然に負荷をかけないで、暮らしてきたのです。
アップしたのは明治生まれのお婆さんが大切にしていた布のはぎれ。
「子どもたちの衣服がやぶれたときのために、はぎれを風呂敷に包んで保管してきた。今、針箱をだしてこのはぎれで何かを縫おうとすると、子や孫にそんな貧乏臭いものは捨てろと叱られる。でもね、これが私の財産だった」
そんな話を教えてくれたのは、地元で活動していた民俗学者でした。昭和30年代から東北のあちらこちらを訪ね歩き、お年寄りから聞き取りをしたのです。
で、その先生が言ったのですよ。
「人間の歴史は長いけれど、こんなにモノを使い捨てるのはどんな時代にもなかったことだ。祖先は自然を慈しんで、次世代へ森や海を継承させた。いま、我々は未来の資源も貪っている。罪深いことだ」
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目先の便利さだけを追うと子孫は困ることに
私に庶民の暮らしを教えてくれた民俗学者は2013年に亡くなりました。でも、時折り、言葉が胸を過ぎります。
「大量消費とか飽食の時代と言われて久しいけれど、せめてあなたはモノを大切にして生きた先人のことを忘れないでほしい」
家計に限れば、目先の便利さだけを追って欲しいモノを欲しいだけ買っていたら、子どもに充分な教育を掛けることができなくなります。
国家的な話にまで広げると、今だけ幸せなら良いという政策で赤字を膨張させると、いつか破裂して、将来はひどい困難を子孫に味あわせることになるかも。
私たちはモノを所有しているのでなくて、すべては借り物。きちんと限りある資源を次世代へ受け継がせていくべきなのでしょう。
時代に流されない芯をもつ
資本主義の社会に生きている以上は、金持ちが優遇されますし、消費する財力のある人を中心に世の中は回るでしょう。
消費は美徳であるようにメディアは人々を駆り立て、おいしい料理や高級ホテルや車、家、リゾートへ。
たえず欲望を刺激されています。そんな時代に流されないで、自分の芯を持つ。私にとって「買わない生活」「シンプルライフ」は意志の表示です。
たかが服1枚、されど
まあね、私ごときが買わない生活をしたところで、なんら変わりばえしません。それどころか節約は不景気の元凶だと言われるような社会です。
でも、ときに思い出しましょう。
買わなくても、すでに充分持っていることを。
まとめ
暮らしを小さくするには、最初は辛いかもしれません。消費することが習慣になっていますから、考え方を根本から変えることが必要。
私も徐々に暮らしをサイズダウンさせています。
見栄とムダを省いて、自分らしく。
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