貯め代のシンプルライフと暮らしのヒント

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親の思いが仇に【借金依存】肩代わりや援助でますます深刻に

 

祖母の3回忌でした。

大正13年生まれで91歳で亡くなりましたから、大往生といえるかもしれません。

祖母といっても、私の継母にあたる人の母親。なので、血のつながりがありません。

でも、幼いときから祖母の家でいつもご飯を食べさせてもらい、家事や暮らし方をこの祖母から教わりました。

祖母は私をほかの孫たちとおなじように接してくれた人です。

命日に寄せて、祖母の生き方が胸をよぎります。

祖母は戦中戦後を生き抜いた、たくましい女。そして倹しい暮らしのなかで、私の親へ援助を惜しみませんでした。

きょうは借金の肩代わりと援助についてお話したく思います。

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祖母は援助してくれた恩人

70歳を過ぎても祖母は体が動くうちは夜明け前から、近所の仕出し店で働いていました。

最低賃金にも満たない給金を得て、家にいるときは家庭菜園を作っていたので、祖母が気ままにのんびりしとしている姿を私は見たことがありません。

6人の子どもを生み育て、次女が継母です。

継母は20歳のとき私の父親と知り合い、親の反対を押し切って駆け落ち結婚。

今で言うところの略奪愛で、私の実母は精神的に不安定になり離婚をし、独りで実家へ戻りました。

お金を差し出す祖母

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祖母は勝気なところがありましたが、献身的に誰かのために尽くすことが生きがいのようでした。

私の父が商売を破綻させたとき、借金のため父と継母は名古屋の自動車工場へ働きに出ます。その間、幼い弟を育てたのは祖母でした。

それで、父は借金を完済して一からやり直すことができ、また商売を再開させます。

父は口がうまくて、抜け目がなく商才はありましたから、1980年代にはけっこう羽振りが良くなりました。

しかし、見栄っ張りな性格なので、収入よりも支出のほうが多い。

車を次々と取り替えて乗り回し高級ブランドの服を好む、派手な暮らしが大好きな人間。

そして、やりくりができなくなると、妻の母親に泣きつくのです。祖母は自分が身を粉にして働いて貯めたお金を差し出します、50万円とか100万円とか。

味をしめた父は、60歳を過ぎても性懲りもなく、祖母にたかっていました。

いま私は父の血縁者として、亡き祖母に申し訳ない気持ちでいっぱい。

借金依存の自覚がない父

継母は父とパチンコをするのが趣味ですから、一緒に祖母の所へ行って、お金を無心しました。

「おばあちゃんは財産家だ。たんまり持っている」

継母がそう言っていましたが、私の目に映る祖母は、爪の先に火を燈すようにして暮らして、小金を貯めているようにしか見えません。

叔父の一家が祖母と同居して、お金にだらしない父と継母を警戒していました。ちなみに叔父はタクシー運転手。

余裕がさほどない家計なのに祖母は生涯、父と継母にお金を融通してくれたのです。

ハゲタカになる

祖母は健康そうでしたけれど、2年前の春に入浴中、急死しました。

ゴッドマザー的な人で子や孫も多く、葬式はけっこう盛大に執り行われ、精進落としも終わり、身内だけが集まった席で――。

父と継母はやらかしてくれます。

「一体いくら遺産を分けてくれるのか」と、叔父に詰め寄ったのです。

私はその席にいませんが、恐喝するみたいに凄んだとのこと。

叔父は気が弱いところがあったけれど、自分の子どもや孫たちのために声をふりしぼって言ったそうです。

「もう金輪際、この家には来ないでくれ。あんたらにやる金はない。これまで貸した分を返してほしいくらいだが、請求はしない。その代わり縁を切る」

 

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借金の肩代わりや援助でますます深刻になる依存症

なぜ、生前の祖母は援助したのか?

私が思うに、自分を必要としてくれる娘と娘婿がいることで、満たされるものがあったのかもしれません。

父と継母はお金を借りるときは神妙に頭を下げたでしょうが、真面目に返済することはありませんでした。

親からのお金はもらったものだと考えていたでしょう。

懲りるどころか10年前、父が67歳のときにはクレジット会社に270万円の借金を作り、私こと貯め代に肩代わりをしろ、育てたのだから恩返しをしろと言い出す始末で。

借金で追い詰められて正常な判断ができなかったようです。

でも、肩代わりや援助をすると私の家庭が壊れてしまうので、断ったのです。

とても恨まれました。親戚の中には情のない冷たい娘だと思う人も。

私は保証人になっていないので、返済義務はないのですが、子どもなのだから親が困ったら助けるべきだという考えを、親たちも変えませんでした。

まとめ

私のほかにも親の問題で悩んでいる方がいるかもしれないと思い、体験を書きました。

もっとひどいトラブルを抱えた方もいることでしょう。

事件の大半は親族や親戚間が多いそうですし。

あるいは、親のことを悪く言うなんてと、眉をひそめる方もいるに違いありません。

恥を忍んであえて書きました。

私が思うのは、父と継母にとってのお金とは、湧いて出るものだったかもしれないということ。祖母と言う貯金箱があったからです。

親の金銭問題は成人した子どもであっても、暗い影を落とします。

たとえ親子の情に縛られて、肩代わりをしても何の解決にならないでしょう。

私は親を反面教師にして、身の丈暮らしで生きていければと願うこの頃です。

 

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