NHK大河ドラマ『青天を衝け!』の俳優がイケメン揃いで、楽しみにしています。
主人公の渋沢栄一は、若い頃に一橋慶喜に仕えているのですね。
大河ドラマでは草彅剛が慶喜役ですが、その妻をテーマにしているのが、林真理子著『正妻』。
上下刊を読了し、面白かったので、感想をお伝えします。
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徳川最後の将軍
徳川慶喜は水戸藩の藩主・徳川斉昭の七男として誕生し、ぶじに成長すると、幕末に将軍の座に就きます。
『青天を衝け!』では、俳優の草彅剛が上品な殿様を演じて好評。
実際に、慶喜は美男子だったそうです。
そして、聡明だったため、父の斉昭からべた褒めされながら成長とのこと。
鎖国を通してきた幕府ですが、アメリからペリーの来航やロシアからの通商要求などともに、国内に尊皇攘夷の考えが台頭し、封建制度がゆらぐ。
徳川最後の将軍となった慶喜です。
正妻 美賀子
京の公卿・今出川公久の娘として1835年に生まれた延君は、徳川慶喜の2歳上。
一条忠香の娘・千代君が慶喜に嫁ぐはずでしたが、疱瘡(天然痘)にかかり、顔にあばたが残ったため、急遽、延君が一条家の養女となり、嫁ぐことに。
そのとき美賀子の名前を、一条家から賜ります。
「正妻」林真理子著は、雅な京都の公家の暮らしから始まります。
今出川家よりも一条家のほうが位が高く、五摂家のひとつ。
公家社会も、上下の身分が厳しかったのでしょう。
美男美女ですから、おひな様のような婚儀だったに違いありません。
江戸城は、無血開城より皇居として残りました。
東京駅から徒歩10分くらいで、皇居外苑に至ります。
コロナ禍前の2020年1月に散策できて、思い出深い。
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夫としての慶喜
幕末は、孝明天皇の妹で徳川家茂に嫁いだ皇女・和宮や、薩摩藩から徳川家定に嫁いだ篤姫(天璋院)などが大奥を仕切っていました。
慶喜の元に輿入れした美賀君は、一橋家に暮して、最初の子どもを身ごもり出産しますが、わずか4日でその女児を亡くします。
「正妻」では、気鬱の病となり、自室に引きこもる美賀君が描かれ、そうしているうちの慶喜は御所を守るために、京都へ。
夫婦は離ればなれに。
徳川慶喜は、側室となる女性を京に連れて行きます。
それが火消しの親分の娘。
新撰組が池田屋を襲撃など物騒な京都で、慶喜は任務に忙しい。
筆まめなので、美賀子にも手紙を送ったそうです。
やんごとなき結婚生活は、幕末のせいで6年以上も別居婚。
駿府に謹慎
夫婦が同じ屋敷で生活するのは、慶喜の水戸での謹慎を経て、駿府に流されてから。
「お腹を召しませ」
切腹しなさいという声がありましたが、辛くも命が助かり、今の静岡県に落ち着きます。
この地で、慶喜はふたりの側室に子を産ませました。
10男11女の21人。
美賀子は最初の子を亡くしてから、身ごもることはありませんでした。
側室が生んだこども達の「おたあさま」として、教育に心を砕いたそうです。
昔の殿様は側室を侍らせても、正妻がそれで文句を言うことはなかったのかもしれませんね。
2代将軍の妻は嫉妬深いことで有名でしたが、美賀子は宮家の姫君ですから、おっとりと構えて、生まれる夫の胤である子らを 、かわいがったようです。
徳川慶喜は、将軍のなかでも長命でした。
亡くなったのは、大正2年70歳。
静岡では、写真撮影や狩り、釣りを楽しみながら暮したと本にあります。
本の最後のほうで「戦わずに逃げたのはなぜ?」と、美賀子が問う場面がありました。
ネタバレになるので明かしませんが、なるほどと納得。
徳川幕府を終焉させた最後の将軍として、外国に日本国を売り渡さなかった賢明さに感謝の念。
青天を衝け!の見逃しは、NHK+で視聴できます。
NHK受信料を払っている世帯が利用可能。
結婚って、身分があるからって幸福とは限らないと「正妻」を読んで、感じました。
まとめ
私の趣味のひとつが読書です。
『正妻 慶喜と美賀子』は読みやすい歴史小説。
林真理子先生の歴史観や男女観が投影され、おもしろくすらすら読めます。
青天に衝け!の理解を深めるために、おすすめ。
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