夫と私は昭和のバブル期1987年に結婚し、次女が生まれた翌年の1992年に土地を求め、小さな注文住宅を建てました。
そのときの金利は高く、固定金利7パーセントで25年という住宅ローンを組んでしまい、返しても元金が減らないローン地獄に陥ったのです。
昭和のバブル崩壊後に起きたことを振り返ります。
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日本の株価
昭和のバブル崩壊は、1989年12月29日とされています。
空前の好景気は、不動産の高値を呼び、株価も絶好調。
財テクブームが花盛りでした。
崩壊のきっかけは、日銀の利上げと大蔵省の不動産融資への総量規制。
景気は一気に冷え込みます。
前年・1989年の年末に終値で3万8915円87銭の史上最高値を記録した日経平均株価は、1990年の年明けから値下がりを続け、この年の年末には2万3848円まで急落しました。
日経平均株価 バブル景気後の最高値を更新 要因は? | NHK | きょうの株価
バブルに踊るゆとりがなかった私と夫。
家賃10万円を払いながら、住宅が欲しくて、頭金を貯めていました。
土地を買い、家を建てたのが1992年です。
さて、日本の株価の最安値は2009年3月10日の7054円!
そのときに有望な株を買っておけば、今頃は……
その後、6月12日から1万円代となり、4割上昇ですから、けっこう乱高下しますね。
銀行の貸し剥がし
バブル崩壊で、私の記憶に強く刻まれているのは、銀行の貸し剥がし。
融資を垂れ流していたのに、一気に「返せ」と言われるのですから、借金は怖い。
土地価格が下落し、事業資金が回らない経営者は、自分の生命保険を家族に遺そうと、自死を選びます。
あるホテルの1室では、3人の男性社長がそろって同時間に自死することも。
3社長はなぜ自殺したのか - NHK クローズアップ現代 全記録
なお、現在では自死による多額の生命保険金は、支払われないことが多いです。
それはバブル崩壊後に、一家のご主人が借金を苦にして、自殺するケースがあまりに増えて、命と金銭の重さについて、議論され、契約が見直されたためでしょう。
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金融機関の破綻
日本人がいまも投資に消極的なのは、山一證券の破綻が忘れられないかもしれません。
銀行や生命保険会社も破綻した、バブル崩壊後です。
1997年11月には、北日本で最大の銀行(北海道拓殖銀行)や日本で第4位の規模の証券会社(山一証券)が破綻し、1998年秋には、とうとう大手である日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が破綻しました。
不良債権の処理に苦しんだ日本。
わが家は住宅ローンと子どもたちの教育費により、長く負債を抱えました。
住宅ローンを終えた時、夫は60歳手前。
長い借金地獄でした。
投資は慎重に
国が新NISAの投資を勧めて、マスコミもシニア向けのワイドショーで投資を取り上げる昨今。
世界を見回すと、リスク要素に気づきます。
景気が良かった中国は不動産バブルに沸いたけれど、そのツケを払うべきときが来たし、イギリスやドイツも経済成長率が停滞とのこと。
ドイツやイギリスはエネルギー価格の高騰により、個人消費も低迷。
ドイツの政策金利は4パーセントだとか。
中国は株価が大幅に下落しているところです。
2024年1月29日、香港高裁は恒大集団に、法的整理を命令。
33.4兆円の負債です。
まとめ
東京のマンション販売価格が1億円超えたという話題があるし、日経平均株価も高値ですね。
株式市場では30~40パーセント下がることは、よくあるそうです。
暴落しても戻ることを信じて、つみたてNISAをしなきゃと、思います。
ということで昭和のバブル崩壊後について、記憶に残っていることをお伝えしました。
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