昭和生まれの私にとって、モノを減らすことは勇気が要ることです。
とくに着るモノは、自分を映す鏡ですから執着がありました。
ところが、私のふだん着は色褪せたTシャツだったり、娘からのもらい物だったり。
クローゼットにたくさん服があっても、それらはお出かけに着るもので、日常着はボロボロという恥ずかしい状態。
衣類の手放しについて、お伝えします。
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「もったいない」病
ふだん着を着替えて、外出のためにおしゃれをする。
これって、人の目を意識していますね。
私が若い頃はバブル期でしたから、肩パッドが大流行。
肩をいからせて、それこそ戦闘服みたい。
そんなデザインのジャケットを、7月にようやく処分しました。
傷んでいないから、着ることができると思ったけれど、違和感が半端ない。
私は、「もったない」という気持ちが強くて、捨てることが苦手でした。
無意識のなかで、時が止まっていたのかもしれません。
リメイクの野望
今回は思い切って、着物に手を付けました。
私は若いときに着付けを習い、自分で着ることができます。
結婚前は茶道を習い、着る機会もあったのです。
画像の着物は、知人のお母様の遺品。
知人が「貯め代さん、母の着物をもらってくれない?」というので、3年前に喜んで頂きました。
知人も60代後半になったので、生前整理をしようと思い立ったとか。
独身の方なので、 いずれは家じまいも視野に入れているのでしょう。
さて、私はせっかく頂いたから、役立てようと思いました。
上質の絹を用いた色無地の着物。
色がピンクすぎて、年齢的に着ることはできないけれど、解いてリメイク素材にしようと考えたのですね。
- 絹のマスク
- 絹の腰紐
絹は手洗い可能ですから、夢が広がる。
もう一枚、リメイク素材用の和服も。
これまた、派手な赤の道行きコートは、夫の実家からゆずられました。
早世した夫の姉の遺品でしょうか。
生きていれば69歳ですが、32歳のとき病気で亡くなった夫の優しい姉。
これも、解いて座布団カバーにしようと考えたことがあります……。
しかし、取りかかることが億劫なのです(>o<)
針仕事がそれほど得意ではなく、ミシンの調子も悪い。
なのに、リメイクの罠にハマって、捨て活できませんでした。
私は一時、リサイクル着物を買うのが、好きでした。
それは子ども達が巣立ってしまったとき、私の寂しさを癒やしてくれたのです。
着物は処分する人が多くなりましたが、かつては女の財産。
粗末にするなんて、考えられない。
そんなこんなで、枚数が増えました。
しかし、私自身の好みが変わり、派手目な着物やウール、化繊は手放すことに。
リメイクに費やす時間も技術もない現実にも、思い当たりました。
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モノを断つ
なるべく買わない生活をしてきたけれど、モノが増えたのは他人様の不要品を引き受けてしまったから。
モノを託して下さった方は、手放されて肩の荷が軽くなったに違いありません。
一方、受け取った私は管理に手間取っていました。
もらって、3年もしたら処分しても良いのではないか。
ということで、着物を4枚、町内会の衣類リサイクルの日に出します。
そのほかにも、着古したTシャツや、サイズがきつくなったスカートも捨て活!
風通しの良い部屋
私がモノを減らそうとしたのは、娘たちの結婚がきっかけでした。
婚約者を連れて来るというので、大慌てで片づけたら、家にあふれたモノは不要品ばかりだと気づいた次第です。
いまは窓を塞ぐような箇所はありません。
私はエアコンに弱いので、酷暑日をのぞき、窓を開けて過ごしました。
空間を生かそうとすれば、モノの多さに阻まれます。
特に服を減らそうとすると、つい買ったときの値段が胸に引っかかる……。
人に自分の意思を伝えるのと同じくらい、服を捨てるのも勇気が要ります。
勇気がなくて決断を先延ばしにすると、さらに気持ちが弱くなる。
不安に押しつぶされそうな、そんな錯覚に陥るでしょう。
私はモノを減らしてから、自分のために生きていいんだという喜びを覚えるように。
まとめ
これまで手を付けずにいた和服も減らすことにしました。
リメイクの野望が罠になり、処分できなかったのです。
しかし、和布のハンドメイドは、センスと技術が必要。
時間が取れないため、「さようなら」しますが、私の元にやって来てくれて、ありがとう。
洋服と和服の手放しについて、お伝えしました。
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