2023/01/22更新しました
公務員にボーナスが支給されました。
平均額が65万円ですから、うらやましい。
私は住宅ローンと教育費ピークが重なった10年余り前に、支払いに困って当時、専門学校生だった上の子のバイト代を借りたことがありました。
子どもふたりが成長して予想外にお金がかかったこと、50代の今も後悔していることをお伝えします。
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教育費のピーク
私には3つ違いのふたりの娘がいて、上の子は専門学校を経て美容師になりました。
ふり返ると上の子が専門学校生、下の子が高校生の時は家計が厳しかったです。
ちなみに上の子が学んだ美容師を養成する専門学校は、私立の学校法人が運営。
- 入学金は20万円ほど
- 1年の授業料が当時およそ70万円
- カットのハサミやネイルなどの教材費
2年間のトータルで、200万円あまりの教育投資。
今はもっと高くなって、300万円は最低でもかかると聞いています。
上の子には、お小遣いをあげることができませんでした。
それで、彼女はアルバイトに励んだのです。
焼き肉店や、中華レストランのホール係。
中高は体育会系の部活だったおかげか、体力に恵まれ、シフトをたくさん入れていました。
それで、あるときバイト代で貯めた5万円を貸してくれたのです。
ほんと助かりました。
教育費と住宅ローン
私の家は、土地と建物で約3千万円でした。
頭金600万円を入れて、2400万円の住宅ローンを組んだのです。
なんどかお話ししましたが、家を建てた1992年当時は金利が高くて、地元の信用金庫から提示されたのは、当初7パーセントの固定金利。
夫が借主で、 妻の私が連帯保証人でした。
当時の私は28歳で、連帯保証人の重さを知りません。
7パーセントの金利だったので、いくら払っても元金が減らない。
途中で借り換えをしたけれど、負債を抱えたまま教育費が掛かっていきました。
にっちもさっちもいかない状態に。
高校生だった下の子にも、辛い思いをさせました。
修学旅行は自分から辞退……。
お金だけでなく、別の理由もあったけれど、修学旅行の積立金が戻って助かったのは事実です。
上の子は専門学校を終えると、東京へ就職。
下の子も進学で、地元を離れました。
国立大学の寮に申し込んだけれど入れず、学生アパートに入居。
大学2年のとき、東日本大震災が発生し、授業料を免除してもらったことも。
私の家は津波には襲われないのですが、仕事はダメージを受けて減収に。
政策金融公庫の「国の教育ローン」を、私たちは借りました。
そして下の子は、奨学金を受けて卒業。
奨学金を本人が返済しているので、現在はワーキングマザーです。
国の教育ローンは、有り金をはたいて一括返済しました。
そのため、わが家は老後資金がない!?
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少子化と亡国
日本は教育に、お金が掛かりすぎる国。
若い世代は総じて給料が安く、将来に希望が持てない。
結果的に、子どもをとても産みにくい国になりました。
日本人はお年寄りが亡くなっていくから、これからどんどん減ります。
コロナが収まれば、グローバル化に拍車がかかるに違いありません。
安い賃金で文句をいわず働く海外労働者に合わせて、多くの日本人の年収はさらに下がる可能性があります。
それにしても子どもからアルバイト代を借りるなんて、情けない親でした。
しかし、その時の私は背に腹はかえられない状況。
もっと家計やお金についての知識があったら。
反省しきりです。
生活レベルが高い日本は暮らしにくいからと、上の子は海外移住をしています。
コロナ禍で帰国できないため1年半、会っていません。
会えたときに、あのときのバイト代を利息と共に返さなくては!
まとめ
子どもが高校生や専門学校生、大学生になると数十万円の単位でお金が出ていきます。
住宅ローンを抱えて教育費のピークが重なると、ため息をつく暇もない。
私は上の子のバイト代を返済にあてたり、下の子の修学旅行・積立を解約したり。
一言でいうと、やりくりが非常に下手なダメ主婦でした。
現実を見据えて、堅く見積もることができなかったのです。
「なるようになるさ」という楽観的な性格が災いに。
50代の後悔、私の失敗談をお伝えしました。
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