夫の母親と私の実母は、2年前の早春に相次いで亡くなりました。
早いもので三回忌です。
心の片づけについても、お伝えします。
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義母の三回忌
95歳で亡くなった義母は、家族と夫の実家でずっと暮らしていました。
終戦後の昭和22年に復員した夫の父親の元に、嫁いで70年以上。
農家の嫁として、認知症となった姑の世話に明け暮れた時期もあった義母です。
亡くなる1週間前まで介護が要らずに、認知機能の衰えもなかったのですが、腹痛を訴え、あっという間に息を引き取りました。
天寿を全うしたのでしょう。
コロナ禍だったので、親族だけの家族葬となりました。
墓地は夫の実家がある集落にあるので、納骨は四十九日に。
義母は勤め人だった義父のおかげで、年金が加算され、豊かな老後を送りました。
私の娘たちにも、入学祝などを過分にくれたのです。
さて、三回忌に話を戻すと……
「寺の坊主を呼ばない。
お前たちも実家の仏壇に、手を合わせてくれたら十分だよ」
長兄は常々、お寺さんの対応に不審を抱いていたようで、三回忌は和尚の読経はなし。
なので、私たち夫婦はご仏前に供えるお菓子を持参して、夫の実家に向かいました。
義母を偲び、お茶を頂きながら懇談。
お金を包まずお菓子だけですが、優しかった義母はきっと喜んでくれたと思います。
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実母の三回忌
実母は80歳の時、老人施設で肺炎により死去。
菩提寺で三回忌の法要を執り行うと、叔母から知らせを頂きました。
そのお寺さんは山脈を越えた太平洋側の村。
交通の便が不便なので、車で行くしかないのですが、冬道を夫に運転させるのは気がかりです。
私は4歳で実母と生き別れ、父親が違う弟がいます。
実母の遺産については、その弟が受け取りました。
農地と少しの現金だったようなので、私は郵送された遺産分割協議書に署名して、印鑑証明を添え、提出。
迷ったのですが、三回忌の法要は遠距離のため欠席。
お詫びの手紙と、ご仏前に供えてほしいと1万円を現金書留で送ったのです。
そんなわけで、家で実母の写真に花を飾り、手を合わせています。
継母への感謝
実母は26歳の時に、21歳の継母に正妻の座を追われ、傷心して里に帰ったので、私はずっと継母に対して、複雑な気持ちを抱いていました。
実母は70代で認知症になって初めて、精神の平安を得たのかもしれません。
継母たちのギャンブル依存に困らされたけれど、今、高齢の父親と一緒に生活し、支えている。
そう気づかされ、私は感謝の気持ちでいっぱい。
「まま母さん、ありがとう」
私はようやく心の片づけができたのでしょう。
実母が好きだった栗の和菓子を、お線香とともにお供えしたい。
まとめ
2年前の早春に相次いで義母と実母が、黄泉の国へ旅立ちました。
それぞれの三回忌と、私の心の片づけについてお伝えしました。
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