2022/04/18更新しました
私の実母がグループホームに入所して3年が経ちます。
遠距離であるため、コロナ禍の2年ほど会うことができないまま。
その母の目が見えなくなったと、叔母から電話がありました。
緑内障だったのに老人施設で白内障の点眼をして、専門医の診断をあおぐのが遅れたそうです。
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脳血管性認知症の母
私の母がグループホームに入所したのは、59歳のとき患った脳こうそくが原因です。
当時、大病院でパート勤務をして、患者さんのベッドシーツの交換などを担当。
「一緒に組んでいる人が、いい加減で困る」
そんな愚痴をよく、こぼしていました。
ストレスのせいか、1回目の脳こうそくで入院。
その時は軽かったので2週間くらいの治療で、退院。
ですが、数年後にまた脳こうそくを再発したのです。
母はシングルマザー
両親は、私が4歳にならないうちに離婚しています。
そのとき25歳だった母は、父親の愛人が妊娠したことに打ちのめされ、私を置いて1人で実家に帰りました。
それから20年、私は実母と会えずに実父と継母の住まいや、祖父母の家で成長。
実母はその後、再婚して男の子を産みます。
しかし、再婚した相手が賭け事をする人で、またもや離婚。
母はシングルマザーとして、男の子を手元で育てました。
再会が叶ったとき、私は生まれたばかりの長女を見せに、母の暮す町を訪問。
初孫と対面した母はその時40代後半。
外見に苦労が滲み出た、中年女性になっていました。
手元で育てた息子は、成人すると都会で働き、母はひとり暮らしを続けます。
孫を可愛がってくれた母
私の母のことを夫が理解してくれたので、母と行き来をすることが出来ました。
夫に感謝ですね。
わが家に泊まりに来たときは、手作りの山菜料理をタッパーに入れて、私や娘が食べるのをうれしそうに眺めていたのです。
「育てることができなくて、ごめんなさい」
母は私に、詫びを繰り返しました。
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ホームに入所
脳こうそくを2度も患った母は、70代になると急速に衰えました。
脳血管性痴呆症になっていたのです。
脳の血管が詰まったことで、集中力が途切れやすく「新聞を読んでも、中身が頭に入らない」と、こぼすように。
母が暮らす町は太平洋側で、私は日本海側に住んでいるため、年に1度くらいしか会えない。
会う度に、母が弱っていることを実感。
結局、ひとり暮らしができなくなって、手荷物だけでグループホームに入所したのです。
足腰が衰えて、80歳から車椅子の生活。
緑内障をこじらせる
2021年に母はなんども施設のスタッフに、「目がよく見えない」と訴えていたそうです。
介護スタッフは白内障だと思い、点眼液をさしていたとか。
結局、専門医に診せるのが遅れてしまい、緑内障が進行してしまいました。
視神経が障害を受けて、現在はもう明暗しかわからない。
手術はせずに、薬で進行を抑えるだけ。
母はもうテレビを見ることすら叶わないのです。
好きな草花も、子どもと面会ができても顔を見ることができないなんて……。
師走にそのことを叔母から伝えられて、私はショックを受けました。
老人施設にいても、緑内障の発見が遅れる。
そのことをお伝えしたくて、母のことを書いた次第です。
脳梗塞や脳出血、クモ膜下出血など、脳の血管に詰まりや出血が生じる病気を脳血管障害といいます。
脳血管障害により酸素・栄養が行きわたらず脳細胞の死滅により、認知症を発症することがあり、それを脳血管性認知症と呼びます。
【はじめての方へ】脳血管性認知症とは?発症のしくみや症状の特徴|LIFULL介護(旧HOME'S介護)
脳血管の病気・予防は、まず高血圧にならないように気をつけること。
すでに高血圧症の方は、薬を服用してコントロールしましょう。
まとめ
59歳で脳こうそくで倒れたことは、母の老後を辛いものにしたに違いない。
家系的に脳疾患が多く、母方の祖父母も半身マヒを抱えました。
私は今年、59歳になるので、生活習慣病に気をつけようと思います。
実母の老いの現実についてお伝えしました。
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