2024年4月15日更新しました
私と夫は1987年に結婚したので、夫婦となって33年になります。
子どもふたりを授かり、私はずっと夫の事業を手伝いながら、家事全般をこなしてきました。
還暦を過ぎた夫は、自分の身の回りはすべて妻の私に任せきり。
お布団を敷いてあげなければ文句たらたら、食事の際はおかずはもちろん、取り皿やお箸をそろえてあげる日常。
しかし、私も50代後半となり、疲れてきました。
私は夫の召使いではない!
ウンザリした私が反省していることと、解決策を考えます。
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召使い妻
私の日常はこんな感じです。
- 起床6時半――すぐに朝食準備
- 朝食を夫婦で摂り、その後に私は朝のルーティン掃除
- 洗濯やゴミ出し
- 事務所の玄関前の掃除
- 洗濯
- 少しPC作業。
- PM12時――昼の支度と昼食
- 買い物
- PC作業や事務所の仕事
- 夕飯の支度
- 夫の寝室で布団を敷き、換気や気温の確認
- PM19時――夫は入浴して、晩酌を始める
- 私は事務所の片づけ
- 夕食を摂ったら、後片付け
- 入浴
- ブログを読んだり、読書
- PM10時――就寝
私の何が不満かというと、夫の家事時間がゼロということです。
それから、事業所得が減り、私の貯金からの持ち出しが増えていること。
それは車検代や家の外壁工事など、多岐にわたります。
私は一日中、くるくると立ち働き、「味付けがイマイチ」「今日は肉じゃないほうがよかった」と料理に難癖をつけられ、それでも休みなく家事や仕事をこなしてきました。
そんなる日、ふと疲れを感じて、気づいたのです。
私は夫の召使いではないぞ!
至れり尽くせりに夫の身の回りを整えてきましたが、それが少しも彼のためにならないことにも、思い至りました。
理由は、私がぽっくりあの世に逝ったら、何もできない夫はセルフネグレクトに陥る可能性があるからです。
そんな私を縛っていたのは、古い価値観に他なりません。
それは父親から植え付けられた男尊女卑 の思想です。
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女は黙って男に従え
私の父親は、1940年生まれでした。
昭和15年、日中戦争が勃発した年です。
物心ついたときは、戦時色だった。
その当時は、男の子が生まれると、産婆さんが「兵隊さんですよ」と、出産を終えたばかりの母親に声を掛けたそうです。
男児の将来は、戦争に駆り出される運命。
女児は銃後の守りとして、家を守り、祖父母や幼い者を支える立場。
そんな父親は5歳のとき日本が敗戦国となったため、豊かなアメリカに憧れるカントリーボーイとして成長。
田舎の子どもだった父は、戦時中に病気で母親を亡くしましたが、浮浪児にはならずに済みました。
7人兄弟の3男坊です。
わりと不自由なく育ったはずですが、ワンマンで男尊女卑の考えに、凝り固まっていました。
- 娘なんて、親の言う通りに従えばよい
- 外に働きに出ると、悪い虫がつくから家の仕事に従事しろ
父はカッと激高しやすく、すぐ暴力をふるうタイプ。
若かった私は、逆らうことができなかった。
結婚した夫は、女性を殴ることがないので、私はそれだけでも幸福を感じたのです。
ポテトサラダ騒動
世の中の建前は、男女平等です。
しかし日本では、女性が家事や育児を担うのはまだまだ当然。
最近では、見知らぬじいさんさんがスーパーで、たまたま見かけた若い主婦に「母親ならポテトサラダくらい手作りしたらどうだ!」と、意見して話題沸騰。
画像は、私が作ったポテトサラダ。
ジャガイモを柔らかく茹でて、キュウリや玉ねぎ・ハムをスライスし、ゆで卵をトッピング。
手間がかかるのに、メインディッシュにならない一皿(>o<)
老害じいさんにはよくできた妻がいて、老妻は文句も言わずに料理を提供したのでしょうか。
話題沸騰となった理由は、高齢男性の上から目線に他なりません。
毎日、そつなく家事や料理を担うことは、男性が考える以上にハードです。
疲労が知らず知らずに溜まるのは、主婦だって同じこと。
熟年離婚
大なり小なりありますが、夫のモラハラ率は、けっこう高いと感じています。
- 上から目線
- 暴言
- 経済的DV
- 身体的暴力
夫の身の回りの世話にウンザリした私も、たまに家出したくなる。
なぜなら、夫は自分が世話されていることに気づいていないから。
食事が用意されているのは当然だし、洗濯物がきちんと畳まれているのも当たり前、清潔なシーツやタオルケットも準備されているのも当然。
世の夫は、妻が召使いであることになんら疑問をいだきません。
「だって、おれ稼いできたから」
定年後にリビングに居座り、妻のやることなすこと文句ばかりという夫なら、妻はやりきれないでしょう。
熟年離婚体験談!50代でモラハラ夫から解放されて | ハルメク暮らし
卒婚
熟年離婚した妻が幸福になるには、1にも2にも経済力です。
ハルメク暮らしの熟年離婚体験の妻は、一人娘で父母の財産を独り占めできたから決心がついたのかもしれません。
さて、わが家は経済的なゆとりがないから、熟年離婚したら双方とも家計破綻まっしぐら。
なんとか離婚を回避しながら、夫に自分のことは自分でしてもらうしかありません。
- 家事分担の表を作る
- 下着や衣服を自分で管理してもらう
- 自分の布団は自分で敷く
また、妻も経済力をつけることが大切だったと、私は大いに反省。
実父からの「女は男に黙って従っていろ!」の呪縛を解いて、自分の意思を相手に伝える努力が必要だと痛感しています。
同じ家に暮らしながら、互いの自由を尊重する卒婚をしたい。
自立して暮らしながら、支え合う。
そんな夫婦の形が私の理想なので、夫にも理解を求めていこうと思います。
まとめ
バブルの昭和妻である私は、古い価値観に縛られてきました。
夫には至れり尽くせりのお世話をして、養ってもらうという価値観(>o<)
カレー鍋のお玉から、離婚危機に(@@;)
ケンカの種は、日常に転がっています。
召使い妻のせいで、夫は夫で家事がなにもできない、日常の暮らしにおいて無能の人と成り果てました。
気づくのが遅すぎましたが、これからの残りの人生を悔いなく過ごしたいです。
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